私が言うのはおこがましいかもしれないが自分への戒めも込めて自論を書いてみようと思う。
飲食店のカウンターである男性が大きなゲップをしている。それこそ何度もなんども。その度に男性は笑いながら、
「失礼しましたぁ。」と言うのだが一向に止める気配もなく身体の欲望おもむくままに同じことを繰り返しては、
「失礼しましたぁ。」と言う。
たまりかねた私は少し早いが席を立ち会計を済ませ家に帰ることにした。
そして別の日。仕事で疲れてはいたがラッキーなことに山手線の席に座ることができた。金曜日の終電近くは混んでいて座れたのはラッキーと言える。
新宿でぞろぞろと乗り込んできた中にほろ酔いのサラリーマンがいた。つり革を両手でつかみ全体重をのせているからだろう、電車の揺れに任せて右へ左へユラユラと揺れている、それこそスイングしている。まるで振り子だ。具合の悪いことに隣の女性にバシバシぶつかっている。最初こそ軽く頭を下げていたがよほど眠いのだろう、いつしか謝罪もなくなり無言でぶつかっている。女性は明らかに不快な顔をしているが混んでいて移動すらもできない。そうこうしているうちに渋谷に着いた。嫌そうな顔をしている女性に、
「私ここで降りるからここに座りなよ、」と席を空けると、ありがとうございます、と笑顔で会釈をしてきた。
さらに別の日。西武池袋線でのこと。池袋からそこそこに混んでいた。優先席には40代と思われるサラリーマンとハデな服装のアンちゃん、白髪のおばあちゃんが座っていた。そこへ杖をついたおばあちゃんがのってきた。
すぐさまに動いたのは座っていたおばあちゃん。腰を上げ、杖のおばあちゃんを誘導する仕草をする。
(そんなバカな?)
と思っているとその行動をさえぎり、
「おれ次の駅なんで、すぐ降りるんで立ちます」と立ち上がったのはハデなアンちゃん。杖のおばあちゃんを席に誘導する。お礼を言われると会釈してドアにもたれかかりスマホをいじり始める。
実はこの少し前になるが杖のおばあちゃんがのってきた時、サラリーマンはいち早くそれに気付きスマホいじりをやめ、寝たふりをはじめていた。
ある日のこと、ある英会話カフェで。客先での打ち合わせが思いのほか早く終わってしまいどーしよーかなーと思っていた時に目に入ったのが英会話カフェ。そこで小一時間ほどお茶でも飲んで時間を潰すまじ。と入店する。
混んではないないが空いてもいない。おばあさん、若い女性、20台後半らしき男性が座っている。
軽い挨拶をしてどんな話題なのか耳を傾ける。どうも留学について話しているようだ。若い女性が留学先での出来事について話やしているのをみんなで聞いている。
しかしどうにも偏っている。
彼女曰く、白人はスマートで優しく、女性をよく理解してるジェントルマンである。日本人も国際社会で戦うためにはそういう西洋マナーを学ばなければならないものらしい。しかしその割にはアジア人の態度、アフリカンアメリカンの女性に対する態度などまるで人種学者でもあるかのような考察でアクの強い発言が目立つ。
ほかにも人種を名指してはここに書きたくないような偏見を惜しげもなく披露している。
さすがに辛くなり、
「留学先で何かあったのですか?」
と質問すると、質問に質問で返され、
「あなたはどこかに留学された経験はあるのですか?」
と言われたので、
「特にないです、旅行だけですね。」
と返すと、
「旅行と留学はまったく違います。長いこと外国の文化に触れたことのない方には理解できないかもしれないのですけど外国では日本の常識は非常識なんです。私はそれが嫌という程わかったので心の中で日本人をやめました。」
だそうである。するとおばあさんがニコニコと、
「そんなに日本人が恥ずかしいなんて思わないでね。私たちだって良いところはあるのよ。」
と話しはじめた。
ゆっくりとしているけれどもとても説得力のある素敵な英語で聞いていて気持ちが良い。
すると彼女は、
「それはあなたの時代の日本人なのかもしれませんね。いまの日本人は違います。そしてあなたの英語は少しなまっていてわかりにくいです。もう少し発音に気をつけることがこうした不特定多数の人が集まる席でのマナーだと思います。」
と告げた。これには私もおどろきちょっと話題を変える発言をしようとしたが、シャイな私に代わり口をきったのは先の男性だった。それまであいづちしつつも発言はなかった彼が初めて彼女に発言した。
「あなたは海外で辛い経験をしたのかもしれませんね。でもね、そこまで言わなくても良いと思います。あなたの英語にも日本人アクセントがありますし、どの国の人もアクセントはあります。先程からあなたは日本人であることが恥ずかしいと言ってますが私はそうは思いません。むしろ日本人でよかったという思いの方が強いです。」
すると彼女が、
「あなたは海外に住んでいた経験があるんですか?」
と質問をした。すると彼は、
「ええ、11年ほどサンフランシスコに住んでいました。あなたは?」
彼女は、
「私はロスに半年です。でもそこで私は他の日本人よりも多くの経験をしました。決して遊びに行ってたわけではありません。」
それに対して彼は静かに、
「それならこういう席で何より大事なことは他人を攻撃するのではなく、お互いの意見を尊重し仲良く楽しむということもわかりますよね?」
誘われて行ったパーティにて。外国人と日本人併せて8人ほどで楽しく呑んでいたが酔いが回ってきたせいか、カラミ酒くんがあらわれた。彼はロスの日本食レストランで働いていたらしい。年月はよくわからんが積極的に英語をはなしていることから英語には困らないようにみえた。
その彼が突然、
「fucking nig***」
と言い始めた。言われた当事者は友人ばかりが集まる場所のため言われたことに驚きは隠さなかったが怒ることなく笑ってうけ流した。すると酔った彼がもう一度、同じ言葉を言った。
「fucking nig***、go home」
その場にいたほかの外国人があわてて止め、私たちもその日本人の悪態をとがめた。
「何を考えてるんだ?失礼にもほどがあるぞ」
「なんでそんなことを言うんだ?何を言ってるかわかってるのか?」
すると彼はいった、
「ロスではみんな言ってた。俺のことはみんなjapと呼んだし俺も彼らのことはそういう言葉で呼んだ。親近感をもった。悪気はない。友達として言っただけだ。」
そんな時、日本と韓国のハーフの友人が日本語で言った。彼はこのパーティのボスである。
「君はアフリカンアメリカンの彼に親近感を持ってその言葉をつかったんだね?ということは俺のこともfucking kor***と呼ぶんだね?呼んでみろよ。親近感を込めて」
「いえ、言えません。いまは反省してます。悪かったです。」
「?、ならば君は人をみて言い方を変えているということなんだね?それは君が言葉をしっかりと理解した上で使っているということだよね?およそここにいる全員が気持ちの良くならない言葉と理解した上で君はその言葉を選択し話した訳だね?」
「・・・・・いえ、あのほんとに自分はロスで」
「うん、君のロスの時間がどういったものかということはここにいる誰も気にしていない。ただね、君が発した言葉は例え冗談だっとしても全く面白くも無いし、中途半端にスラングをつかうことが格好良いとおもっているなら残念だ。
加えてもう1つ言うのなら君はロスの友達がこうした言い方を教えてくれた、という発言をしたわけだが、それが本当のことならば私は君の友達を軽蔑する。そしてその環境でバカにされ続けて笑っていたキミのことも軽蔑する。」
マナーというのは自分のためにあるものではない。他人が気持ち良くその空間を楽しめるために自分が心がけて行動することだと思っている。
例えば強烈なゲップが出そうになるのであればそれとなく下を向いてハンカチで口をおさえるとか、面倒ではあるがトイレに立つという仕草でもよいと思っている。少なくとも目の前でみずみずしい不快な音をさせることに比べれば。
例えば優先席に座ったのち、高齢者が来たとしよう。人がいる中で声を発することが格好悪いとか恥ずかしいとおもったのであれば無言で席を立ち、そのまま別の車両に移ったって良い。派手な出で立ちで周りを圧倒しているあんちゃんの行動と寝たふりをしたサラリーマンの大きな差は、心の中にマナーが備わっていたかである。例え身なりが良くオーダースーツが似合うサラリーマンで合ったとしても、私はあんちゃんに1票だ。
後半の2つはマナーが育った人とマナーが育たなかった人の違いであると思っている。自ずから学ぼうとして身についたものなのか環境が育てたのか私にはわからない。ただ、比べてみればどちらが気持ちの良い人か明らかだろう。
少しとんがった書き方が許されるならば昨今、マナーは表面上の行動に終始している気がしてならない。私が考えるマナーとは女性のバッグを持つことでも、食事の席でイスをひいて待つことではない。その場その場の雰囲気を冷静に読み、人物の考えを察し同じくしてその場にいる人物に少しもの違和感や不快感を与えないように努力することである。どのような場所でも人の気持ちを察することが出来るようになったのならばそのとき私はマナーが身についたと言えるのかもしれないがそれはまだまだ先のようだww。
言語を学ぶということはその言語が育った環境を自分の中に取り込むことでもある。一長一短に出来るものではないがそれを受け入れる努力をするのとしないのとでは後々に大きな差が出ると思っている。
礼儀礼節を重んじる日本人にとってマナーはとても親近感がわく存在であると言える。知らない言語を学ぶ時、人はもう一度赤ん坊に戻る。赤ん坊は何でも吸収する。だからその時にマナーも一緒に学んだらそれは英語を学習する上でとても素晴らしいことなのではないだろうか。